「委ねる」(イーシュワラ・プラニダーナ)という実践(後半)

前半の記事に引き続き、私の個人的な委ねる実践についてシェアします。病気で、死ぬか生きるかのどん底まで落ちて、自分の力の限界(=無力さ)を認めて、人に助けを求めるということをし始めたのが、スタートになりました。(写真は今日の代々木公園)

「委ねる」スタートは、自分の限界(=無力)を認めること

それまでの私は、人に助けを求めることは、自分で努力することを諦める、何か悪いことであるかのように思っていました。

それこそが本当に傲慢だったと思います。まるですべてが自分の努力で成り立っているかのように勘違いしていたわけですから。実際は、自分の努力で成し遂げていることなどほんの一部だけで、沢山の人や社会や自然の力によって、生かされてきていたわけですが・・。

実際は、自分の力には限界がある、無力であるということこそが、真実でした。生きていくには、人から助けてもらう必要がある、というのも真実でした。人に助けをお願いすることは、良いことでも、悪いことではなく、自分の限界を認めた上での当たり前の謙虚な態度だと今では思います。

数ヶ月のつもりで始めた自費の専門治療

当初、トラウマの専門治療に数ヶ月くらいの予定で通い始めました。

私は無職、夫は外資系コンサルティング会社での数年の武者修行を終えて、もともとの希望の再生可能エネルギー事業開発のベンチャー企業に転職したばかりで給与が半分くらいになったばかりの時期でした。

家計はぎりぎりで、少ない貯金を取り崩しての自費治療でしたから、恐る恐る始めたわけです。

「早く治って、出費も最低限になるといいな」

と、皮算用もしていました。

未知のプロセスを信じて、委ねる決心

しかし、治療に通えば通うほど、トラウマや依存症の治療は、一朝一夕でどうにかなるものではないということに徐々に気づき始めました。

・これまでの生き方(習慣的な行動、思考パターン)
・それを支えてきた信念
・そのもとになったトラウマ

一つ一つと丁寧に向き合って、癒し、変容させていくという時間も忍耐も必要な未知のプロセスに入り込んだことに気づきました。

複雑性PTSDから回復するには、避けては通れない道だということを受け入れました。

ますます自分の限界を受け入れました。

いつまでに治ろうという時期的な目標も、治療の予算も手放しました。

とにかく、この治療のプロセスを信じて、できる限りそこに沿っていくことを決心しました。

そうです、信じて、委ねる覚悟を決めたのです。

治療を初めて数ヶ月たったくらいのことでした。

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今振り返れば、自分の生き方や信念・トラウマに向き合い、癒し、変容させていくプロセスは、ヨガや瞑想実践そのものでした。いやが応にも、そこに踏み込む必要があった状況に陥ったことは、今振り返れば本当に幸運でした。

長くなってきたので、また、別の記事で続けます。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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【おまけ】
先週末に友人たちと埼玉の彩湖までバーベキューに行った際の一枚。友人がいつのまにか撮影してくれていました。大地に委ねていますね。(隣にいるのは、夫です^^)

 

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