「委ねる」(イーシュワラ・プラニダーナ)という実践(前半)
自力で頑張る傾向の強い私は、他力に「委ねる」(ヨガのヤマ・ニヤーマでいうと、イーシュワラ・プラニダーナに該当するかなと思います)ということを日々意識して暮らしています。それによって大きく新しい方向に変化してきました。まだまだよちよち歩きですが、そんな私の体験をシェアします。
自力で頑張るというパターン
もともとの私の傾向は、「自分で努力して」何かを成し遂げるというものが強いです。
人にサポートしてもらうことを頼むくらいなら、自分でやっちゃったほうが早いし、楽だ、という信念と行動パターン(習慣のエネルギー:習気)があります。
これは、子どもの頃、サポートが欲しいときに得られなくて傷つく経験をしたという失敗体験と、実際に自分で努力してみるとある程度うまくいくという成功体験を積み重ねてきたからだと思います。
「多少大変でも自分で努力して頑張った方が、精神的には楽だし、”確実”。」
この”確実さ”が、私に”安心”を与えてくれる大事な要素でした。
目標を定めたら、ジャングルで長刀をつかって、直線の道を切り開いて進むような生き方をしていたなあと思います。笑
目標には、ある程度効率的にたどり着けるけど、自分に対する優しさや労りが欠如していましたし、周りの人との調和を軽視していました。
「自力で目標達成することへの依存」は、長期的には、持続不可能だったわけです。
ぶちあたった限界
社会人になって、過労で燃え尽きたり、定期的に風邪で寝込んだりしたがらも、これまでの生き方を手放せませんでした。
しかし、2009年に大きな病気になって療養生活をするという経験をしてはじめて、やっと目を覚まさせてもらいました。
私にとって、人にサポートしてもらうということは、【自分の弱さや限界を認める】ということでした。
【自分が正しい】と主張し、正しさを行動することで、傷つきやすい自分を守ってきました。
「弱さが限界があっても、生きていていいし、それでも、大丈夫なんだ」ということを受け入れるのには、これだけの過酷な経験が必要だったのだなあと改めて感じます。
委ねることから始めた回復
2013年の夏。発病から4年経っていました。
精神科への通院という最低限のサポートだけで、自分なりにあれこれ試行錯誤してきましたが、生きることも死ぬこともどうにもならなるくらいまでに悪化しました。
主治医から、ときどき、自費の専門治療を受けるという選択肢も提案されていましたが、「経済的に無理。自分でなんとかできるはず。」と、反射的に却下していました。
どうせ死ぬくらいなら何でもやろう、と腹をくくることができたので、使えるサポートは、お金も時間もエネルギーも可能な限り使う覚悟ができました。
死んでしまったらお金があっても仕方ないということにも初めて気づいたのもこの頃。
新婚旅行代といって義母からいただいたお金を、未来の自分のためにとっておいたのですが、今の自分の生存のために使うことを選択しました。
未来の自分(新婚旅行や老後)を優先して、今の自分の苦しみをケアすることを後回しにするという選択を4年間もし続け、自分で何とか解決しようとしてきたことは、傍から観ると、本当に笑っちゃうようなことですよね。
でも、病気でサポートが必要な自分の状態を受け入れられていなかった、現実を正しく把握できていなかったので、必要な選択することができなかったのです。今思い出しても、本当にかわいそうだったと思います。
その後、人のサポートを得ながら、先達に与えられた方向性を信じて、謙虚に行動し続けるという形で、回復の道を歩めたことは、私にとって、健全な新しい習慣を作る大きなきっかけ/チャンスになりました。
人生史上、初めての「委ねる」という実践の始まりでした。
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【おまけ】今日のランチ
十割蕎麦とお味噌汁。
蕎麦の醤油麹、フラックスシードオイル、ナッツ、梅干しのコンビネーションが絶妙で美味しかった^^!お味噌汁は、祖母からの天日干しショウガスライスをたっぷり。